ポッドキャストに関わる様々な方にお話をうかがう「Podcast界隈」。第七回目は、ポッドキャスターのKG.さんをおむかえしました。
現在バレエ教師をされているKG.さんは、Podcast番組「輪舞論」(Ronde-ron)を配信され、自分探しのKG.的人生論を展開されています。
ぐいぐいぐいっと(笑)。
トウシューズですね。ポワントっていうんですけど。pointのフランス語ですね。点という意味ですね。点で立つから。
あ~1年半、一緒ですね。ボクも1年と4ヶ月ぐらいですね、8月から始めましたから。
これね、しょーもないですよ(笑)。ひょんなことから近所の子がやっててね。楽しい?って聞いたら、ダンスに行った日は1日がとても充実していると。充実っていう言葉にすごい惹かれたんやね。充実ってどういうことや、充実したいなとダンススタジオの門を叩いたのがはじめですね。
最初はね、音楽やってたんですよ。中学高校のころは、演奏したり歌ったり、いろいろやってたんですよ。芝居も好きやったんですね。高校卒業するときには、音楽や芝居をやりたいとかあったんですよ。目立ちたがりやったんですね。
結局ね、音楽にも芝居にも挫折したんですけど、パッとしなくてなぜかジャズダンスだけを京都でやってたんですね。これが上手いこと踊れないんですよ。そんなときに先生から「お前、クラシックやったらどうや」と言われて、クラシックをやったんですけど、これがなかなかできないわけですよ。悔しくてね。やってるうちに辛いなというより、出来たときの喜びの方が段々でかくなってきたんですよ。辛さを越えてくるんですね。次をやりたい次をやりたいと思うようになったんです。
それで、サラリーマンみたいなこともやめてね、京都の稽古場では毎日3レッスンとか受けるんですよ。それからバレエ団に入って朝から晩までレッスンですよ。そりゃ上手くなりますよね。
ボレボール。ホンマはボレーボールですよ。ボレーボールが先に入ってきて、日本でバレーって付いちゃったんですよ、音引きで。だからボクらのはバレエになったんですよ。ホントはバレーって音引きでよかったんですけど、区別するためにバレエなんですよ。
あー、あれはマナくんとコータローくんのね。
よく言われて嬉しいことですね。
娘に対して発信し始めたんですけど。いろんなことに行き詰ることってあるでしょ。そのときにポッドキャストをたまたまiTunesで知ったんですよ。いろいろ聞いてみようと思って、面白い漫画やなぁというわけじゃないけど「続・師匠的」を聞いたんですよ。ボクはバレエをやっててバレエしか知らんけど、この喋りの間とか呼吸とかが踊りに似てるなぁと思って。
面白いなぁと思って何でか知らんけどメッセージを送ったんですよ。面白さはかっこよさだ、かっこいいということは面白いことだと、偉そうにヒロカズエモーション氏に。そしたらポーンと返って来て。で、踊りをやっててみたいなことを言ったり。
これもひとつの芸術というかアートという気がして、やりたくなっていきなり訪ねて行ったんですよ。やりたいんやけどって。
そう。そしたら快く。まず名前をつけないといかんなぁっちゅーて、KG.って付けてくれたんですよ。ボクね、全然リスナーじゃなかったんです。ちょっとは聞きましたけど、いきなりキャスターなんですよ。見切り発車もエエところですよね。もう使い方も解らんし。ちんさんのページを見ながら。
そう、作り方とか見ながら、こんなふうにするのかぁってソフトをダウンロードしたり。1回目なんかひどいもんでしたよ。音楽は途中で終わるし、ノイズは入っているしね。そんなこんなで始まって、常に模索してますし、BGMも変わってきたし、カテゴリも増えてきたし、コータローくんも入ってきたし、常になにか探してますね。
そうですね。なんでや言うたら、まぁボクの仕事は教師やないですか。教師ってある意味孤独なんですよ。何でも先生の言うことはOKなんですよ。たとえそれが理不尽であってもこうだと言われたら生徒は従うしかないんですよね。
するとね、自分が本当に正しいのか何なのか分からなくなるんですよ。何言うても、そうですねで終わるわけやから。これじゃいかんなと。自分を知るというか、自分が知りたいということかな。
そうそう。それで発信してみると、コメントが来たりして初めて気付くことがあるんですよ。そういうことやったんかって。ずっと舞台をやってきたじゃないですか。自分にとっては、ポッドキャストってもうひとつの舞台なんですよね。「輪舞論」っぽくなってきたな(笑)。本当の舞台で作品作ってても、最初は分からないんですよ。
何を意図して作っているか分からないんですよ。出来上がってその作品を観た時に、自分はこういうことを考えていたのかとか、作品から教えてもらうことが多いんですよ。
そう。作品っていうのは、これは持論なんですけど、「これを表現してみました」っていうのはあり得ないと思ってるんですよ。じゃなくて、何かわからないけどやったらこんなん出てきました。なんかわからんけど動いたら汗が出てきました。こういう汗が出てきました。こういう汗が出したいと思ってやるわけじゃないんですよ。
違うんですよ。ボクの場合は。
もうね、感じるままなんですよ。
bp仕掛人さん、曲作るでしょ。狙ったものってハズしません?
それはね、踊りの作品も一緒なんですよ。こうやったらお客さんこう思うかなとかね、おおいいねと思うかなというのは切ってますよ。なんや知らんけどこんなん出てきたというのを後で見ると、なるほどあのときはこんな精神状態で、こういうことを言いたかったんやなというのが分かるんですよね。ポッドキャストもある意味、作品ですよね。だからシナリオというか書いて読むっていうことがないんですよ。
そう。考えながら、ま、こういうことを言おうというのはありますよ。
だからね、同じこと言うてることがあるねん。何回も(笑)。これさっき言うたやんというのを伝えきれないような気がするから、言葉を変えてまた同じことを言うてるんですね。自分で伝え足りないところをリピートしてるんやなと思うわけ。それに対してコメントが来て、はじめてこういうことが言いたかったんかというのがわかるんですね。だから発信する人と受ける人が、大袈裟かもしれないけど、人生論の輪郭を作るんですね。
違いますね。
でも結果的にはそれが正解ですよね。
楽器でもね、自分で聞くんではなく、相手に伝えるために作られてますよね。トランペットでも朝顔が奏者の耳に向かってではなくて、相手に伝えるように聞く側に向かって作られてると思うんですね。与えるということと受け入れるということ。愛ですか(笑)。
そう。決して自分だけでは、自分で発したものを判断できないということ。
あのね、ひとつの生き方というかテーマはね、やっぱり愛じゃないですか。楽器と同じで、与えることによって、与えられてることを知るんですね。受け入れることによって、自分が受け入れられてることを知るんですよ。
例えば師匠がいてね、親と子みたいなものですよ。師匠がめっさコワくて、出来なかったら夜中だろうがやらされるわけですよ。で、自分が教師になってね、そんなことすっかり忘れて、怒ってるんですよ。「違う、もう一回やれー」って。すると鬱陶しい顔するんですよ。
するとね、あ、これ昔のオレやと思うんですよ。師匠もオレみたいな気持ちであのとき教えてくれてたんやなということを知ったんです。生徒に与えることによって、師匠がやってくれてたことに気づくんです。
ポッドキャストは直接言えないけど、遠まわしみたいに言える、人と人をつなぐ道具っていう人がいたんですよ。
電話では悩み事は言わないんですよ。娘のブログを読んで、テキストで打ち返すのも恥ずかしいし。わからんように遠まわしに話したんですよ。
違う国に行って、勉強して、ものすごいストレスやと書いてるんです。それで、ストレスとは引換券みたいなもので、働いたらお金に引き換えてくれる。何かをやり遂げたら達成感に引き換えてくれる。ストレスとは決して悪いものじゃない。ストレスのないものは大したものではないし、壁や乗り越えるものがなければ面白くないじゃないかということを、みなさんどうでしょうとか言いながら、向こうは聞いてるんで、遠まわしに言ったりね。
まずは発してみよう。でも勇気要りますよね。
うん、ここやなポイントは、今日のミソは(笑)。
とにかく発信する前に打破せないかんね。自分に問いかけてみてはどうですか。自分に対して話してみては?
ボクの場合は、自分探しのKG.的人生論なんですよ。自分が知りたいからやる。相手にというより、まず自分に話しかけてみる。独り言から始まってるから、発信するときは、一番最初に聞くのは自分ですね。まずは自分にメッセージを送ってみてはどうか。
もう一人の自分に向かって喋る。誰しも自分というものを表に出すのは抵抗があると思うから、自分自身に発してみてはどうか。そこから何か開けてくるかもしれないし。
やっぱりライブですね。空気感ですね。ライブで流れるわけではないけど、そのときの空気感ですね。
そうそう。今の自分が伝わっていく。伝えていく。だからボクは溜め録りしないんですよ。寒いときには寒い声になるし、できればその日に録ってその日に配信したいんですよ。喋って編集してすぐ上げてます。だからFMチックなのかな。
好きだと思うからできるんですね、ポッドキャストも。ちょっとこれは恥ずかしいなと思うのが壁なんですけど、壁があるから好きになると思うんですね。誰でも簡単にさらけ出せるなら、そんなに好きにならないかもしれない。尻込みすればするほど好きになるんじゃないかな。 好きというのはすべてやからね。
なかなか手に入らないから好きになるんですよ。