今回レビューにご協力いただいたのは、ポッドキャスターのモダシンさんこと永沢和義さんです。永沢和義さんは、ブログ「モダン・シンタックス」にて、ポッドキャスト番組「Modern Syntax Radio Show」を配信していらっしゃいます。
Modern Syntax Radio Show150回では、ExPodを使って収録をしていただいた番組、 また、Modern Syntax Radio Show153回では、弊社スタッフがインタビューを受けた模様が公開されています。
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ハイ。じつはあれは書き直していて、最初はなんでいまさらポッドキャストソフトなんだよ、ダメだろうみたいな感じで書いていて。なんだけど、違うと。それは出すからには理由がある。理由を考えて、ボクはこうなんだけど、でもボクじゃない人はいっぱいいるんで、そういう人たちのためのものなんだろう。本当にそうなのかな。お金を出すのはちょっと勇気がいるな。くれたらちょっと評価してもいいかな。で、ブログにそういうの書いたらもしかしたらもらえるかなと浅ましい気持ちがあるわけですよ(笑)。
そうですか。ボクはしょっちゅうですよ。共通点というかテーマが1個あれば、通じるものがあるので、且つボクのブログ読んでくれてると、どういう人か解るし、本当の初対面ではないし。ブログの面白いのは、全然会ったことないのに、お互いブログ読んでると、風邪治ったんですかとか、こないだ買ったあれどうですかとか、すごい古い友達のような会話から入るんですよ。
いや、有難い話ですよ。
第一印象は、マニュアルがないんで、起動して、何するのかなと思ったら、とりあえずキューシートを作って言われるがままにやり、ここで録音すればいいんだなと思ってその通りにやれば、録音ができる。普通の人には嬉しいんだろうなと思いつつも、普通の人はキューシートってなぁに?と思うと思うんですよ。ボクは本物のラジオに出て、ちゃんとしたキューシートで打ち合わせたことがあるので解るんですけど、普通の人にはわかないんじゃないかな。
そう。進行表とか、全体の構成とか、トークもお喋りだったりとか。すると、もっと初心者の人にいいだろうし。
7コーナーだったかな。コーナーはボンボンってキューシートの編集でコーナーを追加していくんですよ。追加するたびに、全体の尺が出るじゃないですか。で、まぁ7分ぐらいは喋らないといけないだろと。5分じゃ足りないだろうと。きっと10分は望んでないソフトだと(笑)。このソフトは2、3分を望んでいるんだろうなと、7分ぐらいで収めて。ボクは尺の長さを変更する方法がわからなかったので、だいたい1コーナー1分で、イントロとアウトロ除くと実際に喋るのは40何秒で。喋っている間にカウンターが出るじゃないですか。あとどのくらい残ってるのかなとふと見ると、もう48秒とかで。どうやって終わらせるのかなと、わーっと喋って、「次のコーナーに続きます」とか、「が、しかし」みたいにやっていると、次のコーナー、次のコーナーみたいなモードでやってたから収録はあっという間に終わる。
キューマニュアルにしても、キューボタンを押せと言われるんで一緒じゃんと思って。あと面白かったのは、コーナーを1分に設定してオーバーするとどうなるのかなと。許してくれるのかなと思ったら、「オーバーしてます、オーバーしてます」って真っ赤になって怒られて(笑)。
わかんなくて、このトリは失敗なのかと思いつつ、次のコーナーが始まるんでつなぎをどこから始めていいのかわからなくて、「ところで」と接続詞から始めたり。それが1回目の収録で、2回目はわりと上手く出来たんですけど。キューシートって、ジングル入ってトーク入って、このコーナーでこのBGM変わったものが6つ続いて最後にジングルが鳴って、このコーナーで何喋るというメモもせずにやったので。
メモ書けるんですけど、そこまでやらない。アドリブというか自分の頭に全体の構成が入っていて、これで喋って尺がどんだけ余ったらどうしようかなというボクのアプローチだとキツイかな。でも、ボクじゃない誰かだと、きっとあのやり方はよくって、背中を押してもらえる。
面白いのは録音しているときは長く感じるんだけど、録ったの聞くと長くもないな。ほーなるほどなぁというのは新しい発見でした。
へぇ。
わからなかったなぁ。だから失敗しちゃいけないなぁと(笑)。
全部、生ですよ。コーナー終わるたびに、次どうするんだっけって。久々にすっごい汗かきましたよ(笑)。最初に経験をして、喋れるようになってから、そういうモードがあるんだなぁと思って使うと、すごくいい番組が出来ると思う。
わからなくって、インストールしたらソフトが3つ入って、ExPodからTitleCallが呼べるじゃないですか。あれが、1つのExPodだと思ったんですね。そのノリで録音して、記事を書くときにサイトをみたら、いろいろあると。で、訂正したんです。 TitleCallが凄くて、どう使っていいのかわからないんですけど、ウィザードに頼るしかないと。
たぶん相当な人じゃないと出来ないと思う。逆にいうと、ウィザードのテンプレートがいっぱいあって、「これじゃん」っていうのがあって、ジングルってそう変えるものじゃないじゃないですか。一発これって決まったらそれでいくから。
テストで17個ぐらい作ったのかな。ウィザードで作ってみてOKだったらとりあえず保存で。最終的に150回記念で使ったんだけど。あれはあれで単体で使えるので、これからModern Syntax Radio Showで使っていこうかなぁと(笑)。ウチのオープニングで「Modern Syntax Radio Show始まるよー」とかイントロだけ変えていっても面白いかな。
でもね、永くやっていくとジングル長いと飽きるんですよ。たとえば、ボクの番組聴きたい人は、番組=全体なのかというとそうではなくトークなんですよ。イントロを長くするよりも早く聞かせろというのがあるんだろうなと。というのは、ある人と話てて、かったるいのはもうやめようよと。大事なところだけさっさとボンと、これからはそのスタイルだよねと。でもまぁ始まるよというのは必要なので、イントロは作るんだけど、やるたびに、リニューアルするたびにイントロはどんどん短くなってる。
でもiPodで聞いているとびっくりするんですよ。シャッフルで聞いてるからだけど、音楽が終わったら、「それでね」っていきなりトークが始まると(笑)。なのでとりあえず頭には何か入れようと思ってます。
できないなぁ。だって、あのテンプレートのタイミング絶妙だもん!
あれを変にいじくったら壊しちゃう、ダメだろうと。触れないんですよ。
あと、MSのボイスデータ(音声合成)1個しかない。
うん。だってそれしかないんだもん。
えっとね、自分の番組の場合は、今はMacのスピーチAPIでModern Syntax Radio Showって喋らせてるんですよ。あれと同じノリなのでOKなんですよ。他の人が機械音声でやるかどうかはわからない。
ボクは、ボクの声(喋り)が出るまでは、ボクの声が出てはいけないかなと思って。 たまたま英語のタイトルなんでハマるんですけど、日本語のタイトルだったらツライよね。
それはとっても言えてて、ひとりで音のしない部屋で喋ってると、おかしいんですよ、寂しいんですよ。ボクなんか外で録音して、ガヤガヤしてるところでやっているので、ガヤガヤがBGMになっているのであえて音楽を付ける必要がないんですよ。ときどき一人で喋るときがあって、そのときは必ずバックに音を付けるようにしているんです。それがないと相当ツライ。
テレビでインターネットってみたことあります?PCの画面をテレビに出すとか、相当キツイんですよ。アクセスしてるときシーンとしてるんですよ。ダメだな、テレビでインターネットはダメだなと思って。これは、テレビは常に音がしているものだという先入観があるんで、音が必要なんですよ。喋りでも後ろにどんな音流すかで雰囲気全然変わるじゃないですか。
受ける印象が違いますよね。
なるほどね。ボクは音楽流しながら録音することがほとんどないので、生で録音して、あとでどの音にしようかと決めてるので、普通のひとは音楽があったほうがノリが違うのかな。
ときどき一人で喋るときはすごい遊んでいて、いろんな音を重ねているんです。小さな女の子のうふふふっていう1秒ぐらいの笑い声を、すごく薄く入れていたり、お寺の鐘のゴーんという音を伸ばして、ベースみたいに15秒位入れたり。150回やっているので、いろいろ遊んでいます。
まず、恥ずかしいと思うかもしれませんけど、誰も聞いていないよというのがあって、自意識過剰にならずに、まず喋って、公開しようと。ブログもそうだけど、書くことで意見もまとまるし、喋ることでモヤモヤしていたことが形になっていく。そういうのを繰り返していくと、よくわからなかった自分のものが形になって、形になったものが自分で認識できる瞬間が必ず来る。それが解ったときがすごく楽しい。
たぶん100回越えたぐらいで、ボクはこういうキャラなんだなとか、こういう喋り方をするとこうなるんだなとか、そういう風な喋り方ができる自分がいるんだなとか。ボクの場合面白かったのは、編集をしたくない、録音をそのまま流したいので、喋りながら進行とヤバい話ヤバくない話をアドリブで考えるようになる。すると、脳がすごい回るようになるんです。10分ぐらいの録音が終わったあと、汗だくになるんですよ。スポーツやってみるみたいに。それをずっとやってると覚醒されてくる、自分の中の新しい才能というか未知の部分で。それが面白い。
そうだ。なんで喋ってるのかって聞かれることがあるけど、1つは面白いっていうのはあるんですけど、ブログでテキスト書いててテキストデータは残るし、生活の中で写真というのがあって姿が残るんだけど、ビデオとか声は取る機会がない。イベントはあっても日常はない。声のデータとして残るのがよくて、死んだときに家族が懐かしんでくれたらいいなと。存在証明みたいな。
有名人だったら、テレビとかラジオで残るけど、普通の人にはないじゃないですか。あなたに関するデータはありとあらゆる形式で残しておくべきだと思うんですよね。遺書みたいなもんですよね。マジメに。
ブログも半年で200エントリーくらい書いて、リンクしてくれる人が100人できたときに越えるものがあります。要するに怖いわけです。これ100人見てくれてる人がいるな、下手なこと書けないなと。萎縮するの。だけど100人は今までの自分のスタイルが好きだからリンクしてくれるから、スタイルを変えたらダメなんです。
変えたくなるけど、今までリンクしてくれた人に悪い方向に転がっちゃいけない。読者を意識するあまり内容がつまらなくなってはいけない。叩かれたら困るとかネガティブな要素で変えるのはよくない。それは連続してやってると、ブレイクポイントを乗り越えると、先が見えてくる。
すると空気を吸うように喋れるようになるし、書けるようになる。深いんです。続けるのが一番。っていうか一番大変なんだけど。やればやったで、なにかしら返ってくるので。でも返ってくることを期待してやってはいけない。